デザイン経営とは何か ~ドイツの巨大金融グループ「アリアンツ」の取組みから~
1.ビジネスにおける今日的な「デザイン」の意味
(1)デザインする対象の拡がり
「デザイン経営」を理解するために、まずビジネスにおける「デザイン」とは何を意味するのかを理解する必要がある。2017年に経済産業省が「デザインの力」を軸とした新たなビジネス展開を支援する趣旨で取りまとめた「第4次産業革命におけるデザイン等のクリエイティブの重要性及び具体的な施策検討に係る調査研究報告書3」(以下「報告書」)では、デザインする対象によって3区分に大別している《図表1》。
(出典)経済産業省 第4次産業革命クリエイティブ研究会「第4次産業革命におけるデザイン等のクリエイティブの重要性及び具体的な施策検討に係る調査研究報告書」(2017年3月)をもとにSOMPO未来研究所にて作成
「デザイン経営」への理解を深めるために、まず、報告書が「ユーザー体験を含む製品・サービス全体を対象」とし「ユーザーまで含めた価値創造プロセス全体が領域」としている、「広義のデザイン」について考える。
(2)「広義のデザイン」とは何か
『「デザイン経営」宣言』によると、デザインの活用が産業の競争力の向上に寄与するという。しかし、デザインを産業等への貢献につなげること自体は、今に始まったことではないとされている4。例えば、固定電話は、「受話器というパーツを片手で持つだけで遠隔地の相手と双方向の会話ができる」という機能面での体験価値をユーザーに提供できるようにデザインされている。また、この固定電話が提供する機能は、企業が「低廉な支出で購入できる」という価格面での体験価値をユーザーに提供することによって一般家庭や企業に普及してきた5。このように現在日常生活に欠かせなくなっている多くの製品やサービスは、「機能」と「価格」という物理的な体験価値を企業がユーザーに提供することを通じて普及してきた。
しかしユーザーが求めている顧客体験は「機能」と「価格」だけではない。
特に現代では、ビジネス上重視される消費行動が、モノの購買・所有に重きを置く「モノ消費」から、体験や感情を味わうことに重きを置く「コト消費」に移りつつある。その中で、製品やサービスは、それらを多くの人と共有、交換して利用するシェアリングサービスや、一定期間の利用権を購入するサブスクリプションなどの仕組みを通じて提供されることが増えたため、ユーザーにとって簡単に他の製品やサービスに乗り換えられるものになっている。こうした中、機能や価格といった物理的な価値だけなく、「もう一度来たい」「また使いたい」「他者と共有したい」「周囲の者に見せたい」という「満足感」、「感動」、「心地よさ」、「優越感」等を顧客に提供する製品やサービスが求められている。
「広義のデザイン」とは、こうした顧客が求める価値に対応して「機能や価格という物理的な体験価値だけでなく、ユーザーの心理的、感情的な価値も含めた幅広い体験価値を生む製品やサービスをデザインすること」と捉えることができる。
(3)「経営のデザイン」と、これを実現するためのNPS®6という指標
次に、報告書における「経営のデザイン」について考える。
報告書では、「経営のデザイン」の対象を「製品やサービスの提供を通じた価値創造をするために必要となるビジネスモデル、エコシステム、会社組織、マネジメントなどを対象とする。」としている。
報告書における「広義のデザイン」に関する「価値創造プロセス全体が領域である。」との記載、および「経営のデザイン」に関する「価値創造をするために必要な」との記載を踏まえると、「経営のデザイン」とは、「広義のデザイン」を重視した事業活動上の仕組み作り(経営手法)と解釈できる。
しかしながら、「広義のデザイン」の必要性を多くの企業が感じている7一方で、経営に「広義のデザイン」を導入する際に、効果の定量化や組織体制の構築が課題と感じる企業もある8。
そこで本稿では、顧客ロイヤルティ(企業やブランドに対する愛着・信頼の度合い)を数値化したNPS9を用いてこうした課題の克服を目指しているアリアンツの取組みを紹介する。
2.ドイツの巨大金融グループ「アリアンツ」の取組み
ドイツに本拠を置く世界有数の金融グループのアリアンツの経営陣は、自社の持続的成長に向けて、まず「目指す企業価値を明確にすること」から始めている。
(1)目指す企業価値の明確化とNPSの採用
アリアンツは、顧客ロイヤルティの向上が企業の持続的な成長を実現させるとの認識の下で、「顧客中心主義の約束」として「顧客の声に耳を傾け、顧客ニーズを理解し、顧客の期待を理性的にも感情的にも上回るソリューションを提供すること」を企業戦略の中心に位置づけた10。これに至るまでに以下を通じてNPSの有効性を確認している。
・2004年、CEO(当時)のマイケル・ディークマンら経営陣が取締役会直轄の組織としてカスタマー・フォーカス・チームを設置。同チームは顧客ロイヤルティを測定・管理するための評価指標にNPSを選択11。
・同社は、NPSと、事業上の各種KPI(年間解約率、クロスセル・アップセルの確率、紹介と批判の件数)や総収入保険料の年平均成長率との相関分析を実施。NPSの業界最高水準への向上が高い成長率の実現に必要であることを明らかにしNPSの有効性を確信12。
(2)「顧客中心主義」の実践
「顧客中心主義」を実践するため、同社は、事業展開するほぼ全ての国で「顧客フィードバック・システム」を導入し、これを徹底した。このシステムでは、接客現場の担当者が顧客対応を行った直後に、コールセンターがその顧客にNPSのスコアとその理由を追跡調査し、その結果が現場の担当者に共有される。同社では、現場の担当者が自身の所属する部署のNPSを向上させる責任を負っているため、認識できた課題の軽重にかかわらずサービスの改善方法を現場の担当者が自ら考え、組織内のコミュニケーションなどを通じて組織全体として業務プロセスの改善が図られていく13。
また、毎年、各事業会社単位でもNPSを用いて「顧客中心主義」の達成レベルが測定され、同一市場の競合他社と比較して評価される14。このNPSは各事業会社の経営指標になっており15、各社にとって業務改善に向けたインセンティブになっている。
(3)「顧客中心主義」の継続と結果
アリアンツはその後も「顧客中心主義」の実践を続け、現在も事業戦略の最重要項目に位置づけている16。2016年には、デジタルでの優れた顧客体験をデザインする拠点としてGlobal Digital Factoryを開設し、顧客体験をデザインする専門人材をはじめ、様々な国や部門から多くの従業員を参画させている17。
世界的な企業のブランド価値のランキングであるInterbrand Best Global Brandsにおける同社のブランド価値金額は2010年以降増加を続けており、2019年には保険会社で最高の43位を獲得した18。
目指す企業価値を明確化して以降、「顧客中心主義」の実践を継続してきた結果、同社が目指す「社会の人々にとって心地よい体験を提供する企業グループ」としての企業ブランドを確立したと言えるだろう。
3.アリアンツの事例から見える、「広義のデザイン」実現のための経営手法
アリアンツは「顧客中心主義」を自社が目指す企業価値の中核に置き続け、デジタル化という環境変化にも対応しながら、顧客の期待を上回る顧客体験を提供するための取組みを継続してきた。この取組みを3つのステップに区分し、優れた顧客体験作りや「デザイン経営」に重要な要素を論じた各種論説19に照らしながら、そのポイントを《図表2》のとおり整理した。
(出典)各種文献をもとにSOMPO未来研究所にて作成
《図表2》から、顧客の期待を上回る顧客体験の提供には、企業理念・戦略の策定という事業プロセスの上流から、顧客と直接接し、商品・サービスを提供するという事業プロセスの下流まで、一貫して自社が目指す顧客体験価値が重視される仕組み作りと、経営陣と従業員とがこれを基準に行動することが求められることがわかる。
4.むすび
現在、ビジネスの世界で重視されている感動、心地よさ、優越感等の感情面を含めた顧客体験価値をもたらす「広義のデザイン」の実現には、これを企業の理念、戦略の中核として全てのステークホルダーと共有し、それに沿った組織や業務プロセスの構築、人材育成と配置を的確に行うなどの「経営資源を総動員させる仕組みづくり」が求められる。
そして、このように、「内外にコミットした価値創出に向けて経営資源を総動員させる仕組みをデザインし、これを実現すること」が、「デザイン経営」という経営用語の本質的な意味と考えられる。また、この点が、顧客からの苦情や意見を重視する経営理念として従前から用いられることが多かった「お客様第一主義」という用語が持つニュアンスとの違いかもしれない。
消費行動の中心が「モノ消費」から「コト消費」に移りつつある現代の事業環境の中で、「また来たい、使いたい」「誰かと共有したい」という自社が目指す顧客体験価値を持続的に提供するために、組織、意思決定・業務プロセス、人材など、幅広くその在り方を見直し、再構築する「デザイン経営」の実践が企業に求められていると思われる。
- 経済産業省・特許庁 産業競争力とデザインを考える研究会『「デザイン経営」宣言』(2018年5月)
- 日本経済新聞 「やさしい経済学 経営とデザイン ②狭い解釈、ビジネス狭める」(2018年11月13日)。「デザイン」が「主に物品の色や形のことだけを指す」言葉として定着していることが、日本のビジネスにおいて「デザイン」を狭義に捉えることに繋がっていると指摘している。
- 経済産業省 第4次産業革命クリエイティブ研究会「第4次産業革命におけるデザイン等のクリエイティブの重要性及び具体的な施策検討に係る調査研究報告書」(2017年3月)。
- 紺野登「イノベーション全書」(東洋経済新報社、2020年2月)
- NTT東日本ホームページ「電話機のあゆみ」
https://www.ntt-east.co.jp/databook/pdf/2019_S1.pdf
(visited July. 2, 2020)、および、総務省「昭和62年版 通信白書」。1933年、送・受話器を連結したスタイルの卓上型の電話機が誕生し、その後の様々な電話機の原型となった。なお、固定電話が普及した背景には、電話網の整備、接続方式の変化や電話料金の変遷などの要素もある。 - NPS®(Net Promoter Score®)は、ベイン・アンド・カンパニー、フレッド・ライクヘルド、サトメトリックス・システムズの登録商標。以下、NPSと記載。
- 前掲注3。アンケート調査で約8割の企業がこの定義を社内におけるデザインの範囲と捉えているとしている。
- 特許庁「デザインにぴんとこないビジネスパーソンのための“デザイン経営”ハンドブック」(2020年3月)。デザイン経営に取り組む日本企業へのアンケートでは、企業がデザインに期待することの回答の上位に「顧客の価値体験を起点としたサービスの企画設計」があがっている。また、「デザイン経営」推進の課題として、効果の定量化と組織体制の構築が難しいという企業の声があがっている。
- 大越一樹「NPSのその先へ顧客ロイヤルティを起点に組織を変える」(DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー 2020年5月号)。本誌によると、NPSとは、2003年に米コンサルティング会社ベイン・アンド・カンパニーのフレッド・ライクヘルドを中心とするチームが開発した指標で、世界1,000社以上で導入されている。「0~10点で表すとして、〇〇を友人や同僚に薦める可能性はどれくらいありますか」と尋ね、その製品やサービスに対する顧客ロイヤルティ(忠誠度)の度合いを測定。10~9点と回答した顧客を「推奨者」、8~7点を「中立者」、6~0点を「批判者」として3つのセグメントに分類し、推奨者の割合から批判者の割合を引いたものが、スコアとなる。
- Allianz Capital Markets Day資料, ”Creating customer loyalty”, July. 13, 2006.
- Rob Markey, Fred Reichheld and Andreas Dullweber,“Closing the Customer Feedback Loop”, Harvard Business Review, Dec, 2009.
- 前掲注10。
- 前掲注11。具体例として、顧客への追跡調査の結果、保険金支払いに関する顧客の不満の原因を特定し、支払プロセスにおける体制を変更した事例が紹介されている(保険金支払いのプロセス内で、サービス毎に異なる担当者が契約者に対応する体制から、契約者毎に各種サービスを調整し全ての連絡を行うケース・マネジャーを割り当てる体制へ変更)。
- 前掲注11。
- 野村総合研究所 田中達雄「CX戦略顧客の心とつながる経験価値経営」(東洋経済新報社、2018年9月)
- Allianzホームページ
https://www.allianz.com/en/about-us/strategy-values/strategy.html
(visited May. 20, 2020)、および、Allianz Capital Markets Day資料, “Simplicity wins” , Nov, 2018. - The Innovator, “An Interview with Solmaz Altin”, June. 24, 2017
https://innovator.news/an-interview-with-solmay-altin-1727359af00f
(visited May. 1, 2020) - Allianz SE Media Release “Interbrand Best Global Brands 2019 Rankings: Allianz becomes number one insurer and brand value rises 12 percent“, Oct. 17, 2019.
https://www.allianz.com/content/dam/onemarketing/azcom/Allianz_com/press/document/Allianz-Interbrand-2019_EN.pdf
(visited May. 1, 2020)。 - 特許庁 我が国のデザイン経営に関する調査研究「『デザイン経営』の課題と解決事例」(2020年3月)、ロブ・マーキー「見えざる資産を測定し最大化する 顧客こそ企業価値の源泉である」(DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー2020年5月号)、および、前掲注9。
- なお、「デザインがもたらす価値」は必ずしも数値化されるものばかりではないとの指摘もある。前掲注8。
- 特許庁ホームページ「特許庁はデザイン経営を推進しています」(特許庁デザイン経営プロジェクトチーム)
https://www.jpo.go.jp/introduction/soshiki/design_keiei.html
(visited May. 11, 2020)
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